INTERVIEW製薬会社ならではの創薬とデータ活用を強みとするため、統計の力を活かす

塩野義製薬株式会社
DX推進本部 データサイエンス部
副島 涼さん(左)
データサイエンスユニット長 福永 真一さん(右)
企業の取り組み
社内外の有用かつ多様なデータを集積するデータ活用基盤を構築するとともに、高度解析技術を駆使し、データを活用することでヘルスケアソリューション創出と業務プロセスの変革に取り組んでいます。また社内のデータリテラシー向上を目的とした人材育成の企画・推進に統計検定を活用しています。
製薬会社ならではの創薬とデータ活用を強みに
業務でどのようにデータを活用していますか?
副島|弊社全体では、主に①疾患戦略に基づくトータルケアによる価値提供、②新たなHaaS(Healthcare as a Service)ビジネスの創出、③業務プロセス変革による生産性向上、の3つの領域でデータを活用しています。
「①疾患戦略に基づくトータルケアによる価値提供」とは、医薬品の提供にとどまらず、顧客ニーズに応じたさまざまなケアによって価値を提供するということです。例えばCOVID-19であれば、ウイルスの発生の傾向を早期に検出する下水疫学調査による流行予測や、遺伝子組換えたんぱくワクチンによる予防や、検査キットによる診断、重症化抑制薬による重症化抑制など、世界を脅かすパンデミックへの包括的なソリューションを展開しています。
福永|「②新たなHaaSビジネスの創出」に関連して、我々は薬物療法にとどまらない新たな治療手段として、外部のパートナーと協働し、小児ADHD(注意欠如・多動性障害)向けの治療アプリを開発しました。この治療アプリは、2025年2月に国内製造販売承認を取得し、今後市場に展開される予定です。カウンセリングなどの心理社会的治療や薬物治療に加え、デジタル治療用アプリという新たな治療選択肢が提供されることで、より多くの小児ADHD患者の症状改善や治療満足度の向上につながることが期待されます。
じつは化合物や治療アプリはそれだけでは「医薬品」として国に認められません。化合物や治療アプリの有効性がデータで証明されてこそ、「医薬品」になります。具体的には、医師自身も実薬か偽薬かわからないダブルブラインド試験を経て、厚生労働省所管のPMDA(医薬品医療機器総合機構)に対して、有効性の因果関係を証明することが求められています。
つまり医薬品開発にはデータ活用と統計が必須であり、非常に重要なのです。
なるほど。データ活用が創薬だけではない御社の強みになっているんですね。
副島|はい、そのとおりです。以前から医薬品開発にデータや統計を活用してきましたが、最近では他業務のプロセスにも活用が拡大しています。製薬業界の業務プロセスは、創薬研究から始まり、続いて治験での新薬開発、さらに薬剤の生産と流通、そして最終的には医師への情報提供と安全性情報の収集まで多岐にわたります。
「③業務プロセス変革による生産性向上」とは、データ活用により意思決定を最適化し、生産性を高めることを指します。製薬業界では、厳格な規制の下で効率を追求し、競争力を維持するために、こうしたプロセスの改善が求められています。

ほかに具体的な事例はありますか?
福永|リアルワールドデータの活用があります。リアルワールドデータとは、実際の医療現場で日々収集される、患者の健康に関する情報を指します。臨床試験は通常、選定された患者群と定められた条件下で実施される一方、リアルワールドデータは実際の診療環境から得るものであり、コントロールされていない実臨床で収集されます。
例えば、レセプトデータはその代表的な例です。レセプトは診療報酬の詳細を匿名化した後に電子的に記録したもので、医療機関が患者様に実施した医療行為の内容や処方薬が具体的に示されています。臨床試験は一般に厳格に管理された集団を対象に実施されますが、医療の現場ではそのような管理は行えません。リアルワールドエビデンス研究では、実際の医療データを用いて、薬を使用した結果、有効性・安全性を確認して、その結果を学術論文として発表して、より良い治療につながるよう情報提供を行っています。
臨床統計から全社的なデータサイエンスへ
福永|創薬のプロセスでは、新薬の開発に10年近くを費やすことがありますが、市場に出せる薬は、そのうちごくわずかです。同じような薬を他社が先に発売すると、販売が困難になることもあります。一般消費財であればデザインや機能追加などで競争が可能ですが、医薬品に関しては、高度な安全性と有効性が求められ、さらに公的医療保険によって費用が補助されるため、国民の健康につながるかという視点が強く求められます。
長い研究開発と、必要な薬剤を必要な患者に届けるマーケティングと営業を行って、ようやく現場に届けることができる。そのためにデータを活用しているんですね。
福永|データ活用には、まだまだ伸びしろがあると感じています。2021年以前はおもに臨床統計の部署を中心にしてデータ活用を推進していました。ただ当時は、社内のデータが十分に整っておらず、データの取り方の定義もバラバラで、分析に入る前の「データを集めて整理する」段階が大きな課題でした。
その後、2021年にデータ活用を推進するための体制としてDX推進本部が新たに設立されました。この本部の中にデータサイエンス部が設立され、さらにデータの整備や活用を担うデータエンジニアリングユニットも設けられました。また、社内のIT部門とも連携が取れるようになり、必要なデータにスムーズにアクセスできる体制が整いました。
以前、私は営業職のITシステムを構築する部署で業務をしていましたが、データベースを自分で作ることはありませんでした。しかし、今の部署に来てからは、自分たちの使いたいデータは自分たちで作ることができ、アプリも作ることができています。自身でできることが増えることで、提案できる内容が変わってきました。
副島さんも元は営業職で、いわゆるMR(Medical Representative、医薬情報担当者)です。データサイエンス部が取り組んでいた研修に自ら手を挙げ、優秀だと認められて、データサイエンス部に移ってこられたんですよ。
MRといえば、長年の経験と勘がものをいうイメージですが。
副島|まさにそのようなイメージです。確かに長年の経験や勘も重要な要素のひとつなのですが、営業活動をするなかで、どうにかして根拠に基づく再現性のある意思決定ができないかと考えていました。そんななか、偶然データサイエンス部の前身組織の方とプロジェクトでご一緒する機会があり、データ分析に興味を持ち、手を挙げました。
福永|データサイエンス部では、部長も含めて4分の1くらいは統計の専門家である臨床統計部門出身のメンバーです。彼らを核にして私たちのように営業などの業務部門から移ったり、新卒採用やキャリア採用で参画していただいたりして、多様な人材が集まり、組織が成長してきました。
副島|データの利活用は、データの専門家だけではなく、業務知識のある人と協業するからこそ、うまく進めることができます。たとえばBIツールでダッシュボードを作っても、業務部門で使われないと意味がない。業務プロセスの中でどの部分でデータ利用ができるのか、どのようにすれば利用しやすくなるのかを業務部門と丁寧にやり取りをしながら、取組みを進めていくのが重要だと考えています。

事業推進のためにデータが重要という認識は社内で培われているのでしょうか。
福永|以前から経営層の中では全社でデータを活用するべきという課題は感じていました。そのためにデータ分析だけでなく、データをマネジメントする部門も作り、IT部門も統合したDX推進本部が形作られました。
精鋭とはいえ集めたメンバーで、どう取り組めば全社的な動きにつながるのでしょうか。
福永|現場の「やりたいこと」だけではなく、まずは経営層が課題と考えていることや、組織として目指す成果にも目を向けることが大切です。そういった組織の根本的な目的や課題にアプローチすることが重要だと思います。そのためにどんなデータが必要で、どう関係しているのかを正しく捉えて、見える化や課題整理を行うことが必要です。そうすることで、データ分析が自然と組織全体の目標に結びつき、組織全体を動かす力になると思います。
KKD(経験・勘・度胸)に加えてデータ活用を
そうした流れで全社データを活用するCDM(Central Data Management)構想ができあがったんですか?

福永|そうです。データエンジニアリングユニットが構想を描いて、データの整理とシステムの導入を進めています。CDMは人事・会計・営業・研究開発・製造など各業務システム間のデータ収集・配信のハブ機能とデータを活用しやすく準備しておくデータウェアハウス機能が存在します。
副島|部署ごとのマスターデータは整ってきており、すでにデータの利活用は進んでいます。これから部署をまたぐ領域横断的な分析を加速するための体制を整えている段階です。
福永|マスターデータを整備することで、正しい定義でデータを活用することで全社共通の認識が得られ、意思決定がぶれなくなると感じています。例えば営業施策に対する効果の検証などでは、分析する部署ごとに見解が異なりやすい領域ですが、共通のデータで分析し、比較して効果を提示することで、認識が合いやすくなっています。
具体例として、副島さんが行った分析では、従来のMR訪問に加え、各医療機関の診療体制や情報ニーズに即した形で情報を追加でご提供することで、より有用な結果が得られる可能性が示されました。社内で慎重に検討したうえで施策に反映した結果、当初の予測を上回る成果が確認されています。
「これをやるとこれだけの効果があります」とデータを示せば、言われた側も腹落ちして実施するんじゃないでしょうか。
副島|その行動を起こせば実績が伸びることが分かっているので、自信を持って取り組める。だから良い結果につながったと考えられます。

統計検定を生かした人材育成と組織構成
御社は人材育成に力を入れて、なかでも統計学を重視されていますね。
副島|弊社は1957年に制定された基本方針にも「人材育成」について触れているほど、伝統的に人材育成にこだわりがある会社です。人材育成の中でも統計学は重視しています。元々製薬業界の臨床試験において統計は必須でしたが、今では新薬開発の領域だけでなく、それ以外の部門でも統計の必要性が広がっています。経験と勘による業務をデータドリブンな意思決定に変革するためには、正しくデータを解釈する必要があり、正確なデータ解釈には統計スキルが必須だからです。
人事部と共に実施している教育プログラムの中にはデータサイエンスに関する研修があり、基礎的な素養として統計検定3級やITパスポートの資格取得を推奨しています。

何か支援制度を設けておられますか?
副島|はい。一定の条件を満たした社員に対して、統計検定を無料で受けられるチケットの配布や、年間30万円まで利用できる自己投資支援制度があります。自己投資支援制度は統計の学習に限らず、さまざまな資格の学習や受験料などにも活用できます。実際にこの制度などを活用して統計検定3級を取得した社員は2025年末までに延べ446名に上り、全社員比で11%を占めます。取得者が増えたことで、プロジェクト会議でのデータ解釈や仮説検証の議論がスムーズになり、「統計用語の補足説明が不要になった」「データに基づく意思決定が増加した」などの変化が現れています。
社内でデータ活用スキルはどのくらい重視されているのでしょう。
福永|社内では4つの人材類型を設定していて、①リテラシーを身につけた人、②ITツールを活用する人、③自部門のDXを推進する人、④DXを専門とする人、と分類しています。全員がDXをリードする必要はないので、たとえば経営層は実案件に関わるというより、旗振り役になる必要があるので、①の人という想定です。一方、実務部門では、業務についての知見を持った上で、①と③の人が協働していくということになります。
リテラシーを身につけた人には統計検定3級の取得を推奨しているんですね。
副島|そうです。①のリテラシー層において、必要なスキルのひとつとして、統計検定3級レベルのスキルがあります。全社員が最低でもリテラシー層になることを目指していますが、現在のスキル定義では約半数程度ですので、引き続き教育施策を実施していきます。
おふたりが統計学を身につけて感じたメリットを教えてください。
福永|製薬会社では臨床試験で有意差を検定して報告する機会が多いのですが、以前は有意差があれば差があるというようなあいまいな理解でした。統計学を学ぶ中で有意差検定自体にどういう意味があるのか、中身をしっかり理解して議論ができるようになったのは非常に良かったと思います。
副島|私はMRからデータサイエンスの専門部署に異動した際に、統計検定の学習を始めました。MRのときにもデータ分析をすることはありましたが、当時は平均値だけを見て判断してしまうことも。これがまさに、よく陥りがちな「平均だけで判断し、ばらつきやハズレ値を見落とす」状態なんですよね。基礎的な統計を学ぶだけでも、分析結果を正しく解釈できてより良い意思決定に繋げる力が向上しますし、さらに統計を学び続けることで、高度なモデルが利用できるようになるなど業務の幅が広がると感じています。
福永|経営層からも「データをしっかり活用して意思決定の精度を上げていこう」という言葉があり、インフラの整備も進められて、社内全体としてデータを活用できる機会が増えてきたと思います。
——ありがとうございました。

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